2007年11月16日
現在にたどりつくまでの道のり
大学は英文科志望
私は父の仕事の関係で3歳から13歳までオーストラリアのシドニーに暮らしていた。はじめの7年間は現地校に、残りの3年間は日本人学校にいた。私はそこで培った英語を通じ、また、高校生当時、コナン・ドイルが好きだったので、彼について学びたいと思い、大学は英文科に行きたいと思った。そして将来は英語の教員になり、コナン・ドイルという作家の専門家になりたいと思った。コナン・ドイルが好きだったのは、現地校から日本人学校に移るときに日本語を勉強するために日本文学を読むことを母親に薦められたが、読みにくかったので、推理小説を読んでおり、中でもコナン・ドイルの本が一番面白いと感じたからである。
さて、そこで大学は英文科を受けることにしたが、英文科以外の学科で得意科目の英語の配点が多い学校も受けた。結果、英文科は受かっていたが、経済学部に行くことにした。その理由は、ひとつは、英文科に受かったことで目的を達成した気分になったこと。もうひとつは、父親が「英文学は社会の動きを知るための手段にはならないが、経済学は違う。」と話しているのを聞き、自分もそれに納得したことである。
大学時代
自分で経済学部に行くことを決断したにも関わらず、私はもやもやした気持ちのまま大学に行った。果たして自分の決断は正しかったのだろうか?来年また英文科を受験しようか?などと考えていた。しかし、そんな心境をすっきりと解消してくれたのが「経済学入門」という授業だった。何故かわからないが、「これは面白い。経済学部でやっていこう。」と思ったことをよく覚えている。
色々な授業をとった中で面白いと感じたのは財政学と経済政策論だった。政府の役割や社会の現状を改善するための様々な経済政策に学問的な裏付けがあることに面白みを感じたからである。つまり、現在の経済問題を解消するためにはどうすれば良いのか?そのために打ち出された経済政策の後ろ盾となっている理論を聞くのが面白かった。
ここまで来るとゼミは当然のことながら財政学か経済政策論であると読者は思うだろうが、私が進んだのは国際経済学のゼミだった。それは、各ゼミの紹介欄の国際経済学の先生のコメントに「世界はいかにあるか、日本はいかにあるか、そして、われわれはいかにあるべきか」という文句が書かれており、それに共感したからである。つまり、社会はどうあるべきか?という問題を突き詰めていくと、結果的には個人はどうあるべきか?という疑問にたどり着くと思ったのである。
進路
ゼミで国際社会に存在する貿易や為替を初めとした様々な事象や理論について勉強したが、中でも自分は発展途上国の諸問題(貧困、所得分配、教育の問題等)に興味をもったので、就職先は途上国の経済発展に寄与することの出来る仕事がしたいと思った。ただ、そうした国際開発に関わる機関で仕事をするためには、特定の国・地域・テーマについての専門知識を身につけなければならないと実感した。なぜならば、発展途上国の諸問題の解決方法には一つだけあるわけではなく、その国の経済・社会制度に合う方法が必要だからである。就職活動ではそうした国際開発に関わることの出来るところを受けたが、うまくいかなかったので、先生や両親に相談し、結果、早稲田大学大学院アジア太平洋研究科で勉強したいと思った。早稲田を選んだ理由は、自分が専攻したいと思っていた経済発展論の専門家がおり、その先生の「経済発展とインフラストラクチャー」という研究テーマに共感したからである。簡単に言えば、経済発展につながる効率的・効果的インフラストラクチャーの供給を行うための公的・私的部門の役割の研究をしているのである。
早稲田での2年間
早稲田に入ってまず驚いたのが、世界各国から学びに来ている人が多いことである。アジア太平洋研究科の校舎の一番上の階に学生がくつろげる空間があるが、そこに英語はもちろんのこと、中国語・ベトナム語・タイ語・インドネシア語などアジア諸国の言葉を中心に、ドイツ語・フランス語など西洋諸国の言葉が飛び交っていた。私ははじめ非常に戸惑ったが、皆とても人なつっこく、また自分と似た考えを持っていたので、そうした環境に溶け込むことができた。
次に驚いたのはゼミが英語で行われていたことである。というのは、私のゼミの約半分(日本人12人・留学生8人)が留学生で占めていたため、コミュニケーションをとるために英語が必要だったのである。留学生から自分の国のことを聞き、また、彼らと友達になれたことは私の財産となった。
「経済発展とインフラストラクチャー」という研究テーマの下で勉強していくうちに、様々なインフラストラクチャーがあるなかで、私の関心は水になった。きっかけは、「社会開発と国際保健論」という授業でみたビデオにギネア・ワーム(汚れた水に生息する寄生虫)で苦しむ子供や大人が映し出されていたからである。そこで私は安全な水を飲めることの重要性を認識したため、水に焦点をあてようと思ったのである。
発展途上国で一般的な水問題は、水道の普及率が低いこと(特に都市と地方の格差が大きい)、漏洩率が高いこと(技術的非効率性)、水道料金がコストよりも低く設定してあるため赤字経営(経営的非効率性)が行われていることなどである。しかし、こうした問題は発展途上国に限られたことではなく、先進国でも見られる現象なので、そこで、日本の場合はどうなのか?というのが私の論文のスターティングポイントであった。さらに、日本の水道料金は地域によって格差があり最大でそれが10倍であるという事実を知り、この格差を生み出しているのは何か?と思った(しかし、後に水道料金は水の原価と関係無しに地方議会で決まっていることがわかったので、水の原価の格差を生み出しているのは何か?という疑問点に変わった)。また、あえて日本のことを選んだのは、将来は経済発展に貢献する水道整備政策のあり方提言できる専門家になりたいということも頭にあり、ひとつのベンチマーク作りとして、アジアの経済発展国である日本の水について研究し、世界の水の研究は、日本のそれと比較することがよりよいと指導教授と協議の結果、そうした結論に達したからである。
論文を書いていてわかったのは、日本の水道事業は技術的にも経営的にも非効率であるということである。ただし、これは日本の上水道事業体1,900事業体(家庭用の水を供給している事業体には他には水道用水供給事業・簡易水道事業・専用水道がある)を調べた結果である。例えば、1,900のうち1,088の事業体では水道料金よりも水の原価が高く、また、1,900 のうちの287の事業体では生産された水の10%が技術的非効率性で失われているのである。また、論文では水の原価の高低を決める要因は一般的に考えられる水源や人口、施設の運転効率性などであった。また、上水道事業における非効率性改善のためにはどういう政策・制度改革が必要か?を書いた。
今後の予定
私は日本の水の研究をベースに、早稲田卒業後はイギリスのUniversity of Birmingham, School of Public Policy, International Development Department博士課程でインドネシアの水道について研究する予定である。水道を含めたインフラストラクチャーサービスは通常政府によって提供されているが、最近では政府資金の限界や政府によるインフラストラクチャーサービスの非効率性の問題から、民間資金の導入・民間部門の参加が重要になってきているが、インドネシアでは水道は民間部門によって提供されており、私の問題意識は民間部門によって提供されている水道サービスは効率であるのか?また、そうした経営手法は経済発展に貢献するのか?ということである。
おわりに
これまでの自分を振りかえって見ると、私の転換点は大学の時に英文科ではなく経済学部に進もうと思ったことであった。もう一つは、ゼミを選ぶときに財政学や経済政策論のゼミでなく、国際経済学のゼミを選んだことである。それらの選択は結果的によかった。なぜなら、経済学、しいては国際経済学の分野の中で自分の適性を見つけることができたからである。確かに、英文科に進んだとしても、その中でも自分の適性を見つけたかもしれない。しかし、自分が生きたいと思う基本的な姿勢は変わらない。それは、一つの研究テーマの専門家として活動したいという姿勢である。
岩波 美智子
早稲田大学大学院アジア太平洋研究科
この執筆を通して伝えたいことは次の二点である。まずは、自分が進みたいと思う道とは時には違う道を歩くとしても、それが結果的に良いことがあるということ。もう一つは、自分がたとえその違う道を歩いていたとしても、自分が生きたいと思う基本的な姿勢は変わらないということ。である。